日本産婦人科・新生児血液学会 事務局

産業医科大学
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研究会から学会へ

1976年から1990年にわたる旧産婦人科・新生児研究会を顧みて

相馬廣明(東京医科大学名誉教授)

日本産婦人科・新生児学会が20年を迎えるにあたり、その前に既に15年にわたり、その土台である産婦人科・新生児研究会が開かれていた。
当時、1960年代後半から1970年代の日産婦学会での発表報告は、婦人科腫瘍が主題を占めており、産婦人科領域で臨床上最も対処すべき緊急課題である出血や血液疾患についての研究発表は少なかったといえる。その当時、弘前大の品川信良教授が日産婦学会での宿題報告として、産科疾患の出血や血液凝固の問題を取り上げたことは注目に値した。

東京医大の血液学の領域には、米国シカゴ大学小児科の助教授をされていた加藤勝治教授がおられ、新しい血液凝固や線溶についての分野を研究指導されていた。

私も産科出血に関与する血液凝固機序や線溶現象についての解明のために、加藤、福武、藤巻先生などのご指導で研究中であり、たまたま弘前大の品川、眞木両先生とも相談して産婦人科血液研究の集いをもつことを企画し、ご賛同を得た。昭和51(1976)年11月18日、東京のエーザイホールを借りて第1回の産婦人科血液研究会を開催するに至った。その時の発表演題数は32を数え、内容は血液形態から出血や新生児血液、免疫、血漿蛋白などに及んだ。そして関東周辺だけでなく、東北から中部、中国、九州からも参加発表を得た。

翌年 昭和52年11月10日、再び東京医大の主催で第2回研究会がエーザイホールで開かれ、演題発表数は39題に及び、とくにスェーデン、ルンド大学産婦人科Astedt教授による産婦人科領域の経口避妊薬と線溶の課題の講演を戴いた。実は、研究会を主催してもその記録が残らなければ意義がないと考え、当時本郷で医学図書出版社を経営する鈴木吉見社長と相談の上、「産婦人科血液誌」を発刊してもらうことにした。そして毎年の研究会の発表演題抄録及び質疑応答の記事も掲載されることになった。この時の雑誌のあとがきに担当者の私文が載っているが、演題数が多く限られた時間帯での配慮に苦労したこと、Astedt教授が日本語での各演者の発表に対しても、スライドを見ただけで質問を浴びせる程、その理解力と回転の早さに驚いたことが書かれている。

第3回研究会は品川教授が会長で、青森県医師会館において昭和53年6月16日に行われたが、この時青森では地震が発生し、列車も三沢までしか行かず青森に到着するのに一苦労したことを覚えている。その関係か演題数は23と少なかったが、成分輸血や血小板、AntithrombinⅢやDICの問題が討議された。会終了後の恐山への参詣は印象的であった。

第4回は昭和54年7月13日、岐阜大・野田教授の会長の下、長良川ホテルで開かれ、演題数は36を数えた。内容は免疫グロブリンや胎盤蛋白、フェリチンや輸血、線溶や癌患者の凝固線溶動態などの課題が発表された。

第5回研究会は福岡大・白川教授の予定であったが、急病のため急遽再び私が担当することとなり、昭和55年12月4日にエーザイホールで開催された。演題数35で、悪性腫瘍の赤血球ポリアミンや血清フェリチンやITP患者の婦人科手術、臍帯血の凝固状態、妊娠中毒症や子癇の凝固線溶、妊婦の線溶などの問題が討議された。

第6回は杏林大の鈴木正彦教授の担当で、エーザイホールで昭和56年12月7日に開催された。会長講演は産婦人科・新生児領域の血液正常値についてであり、他に演題数は19、乳児ビタミンK欠乏の問題や、DIC、羊水栓塞症、血小板無力症などの発表があった。

第7回研究会は岡山プラザホテルで昭和57年11月20日、岡山大・関場香教授の下で開催された。演題数は37あり、このとき初めて小児科の先生の参加を得て、駒沢勝先生(国立岡山病院小児医療センター長)による新生児血液学の問題についての特別講演と粟井通泰教授(岡山大病理)による特別講演がもたれた。従って発表演題も妊婦貧血のほか、胎児血液、新生児出血や血液不適合、乳児ビタミンK欠乏症による出血発生予防などの話題が討議された。

第8回研究会は、秋田大・眞木正博教授の会長下に秋田キャッスルホテルで昭和58年9月14,15日の2日間行われた。演題数30。癌化学療法時のFOYの併用や、胎児の新しい血液型判定、PIVKA-Ⅲ測定やDIC、AT-Ⅲ療法、ITP患者の分娩、血友病A carrier妊娠分娩や、妊娠中毒症例のヘパリン療法などが論ぜられた。

第9回研究会は、三重大・杉山陽一教授の会長下に鳥羽国際ホテルで昭和59年10月18,19日開催された。演題数最も多く70を数えた。そして出口克己教授(三重大 内科)による妊産婦の線溶機構の特別講演の他、先ず品川教授による妊産婦死亡、とくに失血死と医師の責任という裁判などの実例をひいての話題提供があった。この会から小児科の先生方の参加が増え、新生児血液についての多くの話題を提供してくれた。成人T細胞白血病の胎児への移行の問題、胎児仮死の血液血漿蛋白や未熟児貧血、ビタミンK欠乏出血症やヘパプラスチンテストやPIVKA-Ⅱの動向など、実に多彩な演題が続出した。

第10回研究会は昭和60年8月1、2日 松本に近い美ヶ原温泉ホテルで信州大・福田透教授の下で開催された。第9回の志摩の海辺と違って、今回は信州の山に近い温泉での開催であり、演題数は46を数え、大橋俊夫教授(信州大 生理)の特別講演があった。今回も小児科側からの発表が増加し、ダウン症の血液異常やKasabach-Merritt症候群例やネパール妊婦の胎盤蛋白や線溶動態、再生不良性貧血妊婦、白血病合併妊娠、ITP妊婦例や臍帯血幹細胞の問題などが提起された。

第11回研究会は広島大・産婦人科 藤原篤教授の会長下に昭和61年9月12、13日 広島県民文化センターで開催された。蔵本淳教授(広大原医研 内科)の血小板と止血異常の特別講演があり、演題数は44を数えた。ITPや再生不良性貧血、血友病判定のための臍帯血の凝固因子測定や、未熟児の血小板減少症、糖尿病や妊娠中毒症の血液凝固動態などの話題があった。

第12回研究会は弘前大・永山正剛教授の会長下に昭和62年6月5、6日、弘前文化センターで開かれた。演題数は30、特別講演として吉田豊教授(弘前大 内科)の出血時間をめぐっての発表があった。演題として新生児溶血性疾患、妊娠中毒症、AT-Ⅲ、ヘパリン療法、胎盤蛋白やATLウィルス感染など多岐に渡った。なお研究会機関誌は第6巻より「産婦人科新生児血液」と改題された。

第13回研究会は鈴木重統教授(北大)の会長の下、昭和63年6月24、25日、北大学術交流会館で開催された。今回はドイツよりSutor教授(Freiburg大、小児科)、Beller教授(Munster大、産婦)、Saling教授(Berlin大、周産期)のお三方が招聘され、ビタミンK欠乏出血や凝固異常や、胎児生化学的管理などについての講演の他、安倍英教授(帝京大)のDICの見直しの発表もあった。演題数62で、妊産婦、新生児の血液凝固線溶、頭蓋内出血に対するAT-Ⅲ投与効果、フエリチンの問題などの豊富な課題が発表された。

第14回研究会は八神喜昭教授(名市大)の会長の下、平成元年6月22、23日、名古屋国際センターホールで開催された。斎藤英彦教授(名大 内科)の特別講演があり、演題数は46を数え、ATP合併妊娠の治療やRh不適合妊娠やビタミンK投与の新生児プロテインSの動態、先天性異常フィブリノーゲン血症、先天性第Ⅻ因子欠損症の妊娠分娩、胎盤絨毛の血小板凝集阻止能など興味ある課題が発表になった。

第15回研究会は初めて小児科側から山田兼雄教授(聖マリアンヌ医大)が会長となり、平成2年6月21、22日 横浜国際会議場で開催された。宮崎澄雄教授(佐賀医大、小児)による母子間血液型不適合による溶血性貧血の特別講演があり、その他シンポジウムも組まれた。演題数は49、小児科側からの発表が多く、ビタミンK欠乏状態や妊娠中毒症の血液動態、抗リン脂質抗体、胎児貧血、新生児溶血性疾患、ITP合併妊娠例などの管理について討議された。

この15年間をもって産婦人科・新生児血液研究会は閉じ、翌年より寺尾俊彦教授(浜松医大)による日本産婦人科・新生児血液学会が発足したわけである。これまで15年にわたり研究会誌を発刊してくれた医学図書出版の鈴木社長に対し、御礼の意味で研究会の主なメンバー執筆による「周産期血液ハンドブック」が平成3年3月に発刊されたことは、本邦にとっても最初の刊行本であり、極めて有意義であり、その後の本領域での血液学の資料として役立ったことと考えている。
これまでの研究会の発展にご努力頂いた会長先生や、外国からお出でいただいた先生の中にも既に故人となられた方もおられ、深い感謝と哀悼の意を表したいと思う。